【"superinspire"と私-12】 ~2008年の出来事 <下> ~
【"superinspire"と私】-12
~2008年の出来事 <下> ~
外勤営業から内勤業務に代わるのは本当にショックだった。
時の上司にそう告げられ、ところ構わず涙が出てきた。
それくらい外勤営業が大好きだった。
車ならプライベートで乗っていたが、会社的にはどうしても厳禁で、内勤への"転職"は確定してしまったのだ。
そこで、当時の職場、職務事情で、名古屋以外で僕に適当な内勤職の受け入れ可能な先を探してもらうことになった。
そして、それは恐らく広島(東広島)になるだろうと端から"薄々"言われていた。
広島なんて、僕には、"毛利元就が猛烈に好き"なだけで、他に縁もゆかりもなかったので不安で仕方なかった。(勤務歴は15年で名古屋と三重だけ)
そうこうしながら、正式に広島(東広島)への辞令が下りた。
そしてその辞令を受けた直後のことだ。
・・・・・・!?
先の本田技研~の◎◎様から、
🖤「申し訳ありません!世界中隈無く探しましたがどうしても見つけられませんでした。お許し下さい!」
と電話があったのだ。
電話を受けた際、事務所の物置部屋奥に走って行き、そこで話をした時の記憶と映像はまだ頭の中にある。
何たる因縁だろうか。
こんなタイミングで"superinspire"の廃車が確定するなんて!
ややこしい病を抱えたと思われた不安、
外勤営業を離れるショックと悲しみ、
初めての内勤業務に異動する不安、
(自分として)未開の地――東広島――に異動する不安、
・・・・・・、
これら人生の一大事と時同じくして
"superinspire"の廃車確定!
全てが仕組まれた「宿命」のようにも思えた。
しかし、新車から16年、走行距離も185,000km超。
そもそも、とどめを刺したのは他でもない僕だ。
これだけ愛し四六時中苦楽を共にした"superinspire"。
形ある事物には必ず終わりがあるとするなら、これも本望とせざるを得なかったのかも知れない。
"superinspire"を見つけた瞬間感じた「運命は外れではなかったのだ。
新しい土地に移るに当たって、三重県でお世話になり慣れ親しんだ各所に挨拶をして回った・・・。
スポーツクラブ、眼科、メガネ屋、クリーニング屋、美容院、
そして最後に懇意にしていたHONDAディーラー。
そこには"superinspire"を安置頂いていた。
「廃車確定」の報は既に先方にも届いており、
お互い何とも言えない面持ちで挨拶を交わし、
日が暮れた中で、最後にもう二度と動かない"superinspire"に乗り込み写した最後の記念撮影は正に「号泣と共に」だった。
その写真を見ると今でも自然と涙が出てくる。
その後、"superinspire"を残して一人で名古屋に戻った。
"彼"を残して帰ること自体が信じられなかった。
駅のホームでも、一人になれば涙が出て来て押さえられなかった。
しかし!いつまでもそうしてはいられない。
新しい土地もあれば新しい仕事もある。
僕は悲しみと共に涙を振り切り前を見た。
・・・・・・続く(最終回へ)
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