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2019年9月17日 (火)

“我流”と“前のめり”への警告としての考察

今日は09月17日で火曜日だけど、気のせいだろうか、何だか日の進みが早いような・・・。

あ、こういうのはなしだった。


でも、いい。


各種リハビリがいい感じで進んでいる/進められている気がするから。

――ハードル上げていいのかな!?――



昨日都合で3日振りとなった「日常の歩行器トレ」はすこぶるいい感じだった。

要点は、足の運びのイメージを少し変えただけだった。

驚いた。

だから今日の施設のリハビリでの「歩行器訓練」がとても楽しみだ。


“天然足(足の装具を外す)”の取り組みは、右足天然足でも「リハビリ自主トレ」をそれほどまで手薄とすることなくソコソコ出来るようになってきたので、

これまで毎日朝のみ左右交互としていたローテーションを、

朝はダメダメな左足、昼はまだマシな右足、とパターンを変えてみようかと思う。

とにかく“天然足”で取り組む機会を増やしたい。


と言うのも、

先ず何よりも足を痛めそうな不安がなくなりつつあること。

“天然足”の取り組みで(装具がない分)足への負荷が増大することで各所――特に足首と膝――を痛めそうな不安が薄れてきたと感じる。


それに、昨日「日常の歩行器トレ」をしながら、“天然足”の取り組みがそのまま歩行訓練の充実にも繋がっている“感触”を得たからだ。――実際は分からない――


前者の、足を痛めることになりかねないことへの不安については重ね重ね慎重に慎重を期すところであるが、

後者の歩行訓練における良い感触を得られたことは大きい。


しかしながらそこで思う。


今やっている取り組みは“我流色”が強い。

――と言うよりほとんど我流――


「こうがいいんじゃないか」と僕が自分で感じることをそのままトレーニングメニューにしている。


もし何か誤っていれば、“良くない癖”がつくことを助長することになりかねない。


リハビリの先生には、「今こうしています」ということを正確に伝えて、良くも悪くもそれによる変化が出ていないかどうか、リハビリの時間においてその辺の監視もお願いたいと考える。


自分で良かれと思っても実際は“自分のイメージと全然違う”ということはよくある。

――かつてギターで歌を歌っていた頃がそうだった。自分では上手く出来ていると思っても録音して第三者的に聞いてみたら「こんなに下手なのか」と嘆かわしくなることは多々あった――


あとは、少々くどいが万一痛めたときの適切な対処だ。


諸々具合の良さから少し“前のめり”になっている今、仮にどこかに痛みを感じたとして、そこでスッと一旦中断出来る“勇気”があるか?という問題だ。


今のところその兆候はないからいいものの、これから先の問題だ。


万一どこか痛めたとして、それでもそこに目を摘むって無理やり続けたら、それはイカンとされる「焦り」に他ならない。


これらのことを決して蔑ろにすることなく

目指すところに向かいたい。


そんなところ、今日はちょうど施設のリハビリ日だから、この辺のことをいつものセラピスト先生に話してみたい。


元々「リハビリは開発だ」の指南してくれたのはこのセラピスト先生で、その時の“ご教義”の精神は今も僕の中で生きている。


上手く出来ていればいいのだが・・・。


とそんな訳で、少し小難しい(?)/訳分からん(?)記事になってしまったが、今考えていることはこんなこと。


当たり前の今日一日にも何らか意味を持たせて取り組みたい。

無駄に焦るつもりはないが、時間を無駄には出来ないのだ。


といったところで

今日も頑張ります!















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