スポーツ

2011年8月30日 (火)

自分自身はもちろん、誰かに勇気を与えられるパフォーマンスを発揮しよう!

昨日のこの時間は世界陸上を観ていた。

ちょうどハンマー投げの鉄人室伏広治選手が金メダルを獲得した。

色々なスポーツを嗜む僕ではあるが、ハンマー投げには全く造詣はないものの、彼の優勝にはとても感激した。

感激したのは、そのプレーそのものではなく、優勝した本人が心から喜び、深い達成感が自然と伝わってくるその顔、表情、振る舞いに感激した。
詳しくは知らないが、彼にも今まで様々な苦しみや試練があったと聞いている。あれだけの選手でもそんなことを経験しながら、良い結果が出すことが出来た後、素直に、ある種無邪気にすら映る姿で喜ぶ様には、全然関係ない僕でも思わず「良かった」と笑みがこぼれてしまう。

僕も水泳というスポーツをこよなく愛すアスリート(?)のハシクレとして素直に「素晴らしい」と思い、自分自身であんな達成感の得られるパフォーマンスをしたいと強く思った。

そんなものを見届けた後、昨日もいつものように水泳の練習に行ったのだが、来月の大会に向けて、自分で設定した少しキツメの練習も、直前に観た室伏選手の姿にあおられてか、根性で頑張った。よくいろいろな選手が「人に勇気を与えられるプレーをしたい」なんてことを口にするが、誰かのパフォーマンスで人に勇気を与えるとはこんなことなのかなとも少し思った。

そうそう、世界陸上で金メダルを獲得したのはマラソン以外では初めてとか?
これも大きな快挙の一つだろう。

しかし、日本人選手は陸上の世界ではなかなか厳しいなと思う。水泳でも野球でもサッカーでも、世界と互角に争ったり、世界で活躍したりする選手が増えて来ている中、陸上の世界ではなかなかそうもいかないようだ。

勝手ながら思うに、本当は日本にも陸上競技をやればすごい選手になるのに、そういった人らが陸上競技を選択していないのかな、と思うこともある。

何かのスポーツを始めるきっかけなんて、個人的な好みや様々な環境もあると思うが、誰かに憧れてその道に足を踏み入れる人も多いだろう。
そう言う意味では、陸上競技にはほとんど接点のない僕であるが、いつかそんな選手が出て来て、世界と互角に戦える選手がどんどん出て来たら面白いだろうな、と自分自身はどこにも影響力のないただの素人なのに横着にもこんなことを思ってしまった。

ところで、陸上競技でいつも不思議に思うのは、トラック競技で「この組の2位に入れば準決勝進出」とか、何故予選の組に関係なく予選の記録の絶対値で予選の勝敗を決めないのだろう。組合せの妙とかないのかな?みんな一生懸命練習して来てそれでいいのかな?実はずっと疑問に思っている。

ちなみに水泳の場合は、タイムの順番で予選通過不通過が決まり、組は関係ない。

だから陸上の場合、フライングで失格したボルト選手のように、予選さえ通過すればOKで、予選では記録を狙わず最後に「流す」選手が出てくるんだろうな。

関係ない話だが、そのボルト選手が決勝レースの前にスタートラインに着いた時、右を見ては「勝つのはお前?違う違う」。左を見てはまた同じ仕草。
自分をより高める仕草(?)だったとしても、観ている者としては、あまりいい気持ちがしないものだな、と僕は思ったが世間はどう見ているのだろう。僕は嫌いだ。

まあいいか。
毎週日曜日、好んで観ている「関口宏のサンデーモーニング」のスポーツコーナーで張本勲が、ボルト選手が予選通過を確信して最後に「流す」パフォーマンスに文句を付け、「それは違う」と他の人らから返り討ちにあっていた。

「違う」かどうかはいいとして、張本が自信を持って文句を付けたボルト選手があんなことになってしまったので、その張本が来週の番組で何て言うか見ものだ。
このコーナーで、関口宏が何か言ったことに張本が噛みついて怒り出す掛け合いもとても面白い。ああ楽しみ。

またまたそんなことはいいとして、今日もこの後水泳の練習に行く。
今日はどんな調子で練習出来るかな。僕の有難いチームメイトは都合で休みと聞いているのでちょっと寂しいが、頑張ろう。

次の名古屋の大会では、自分自身はもちろん、その有難いチームメイトにも勇気を与えられるパフォーマンスを発揮したいしっ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月27日 (木)

私論・「品のない」過剰報道、再び!!

インフルエンザに伴う贅沢休暇が終わった。

今日26日から仕事に復帰した。元々の3連休と合わせて結局5日も仕事を休んでしまった。
さすがにこんな休みは申し訳ないと、一応昨日買って来た「ゴメンナサイ手土産」(?)を持参して出勤した。

すると何と、僕の容体を気にしてくれていた上司までもが僕と入れ替わりでインフルエンザによる休みだった。周囲の同僚に「申し訳ない」を連呼していたら「いや、大丈夫」とか言われるので何かと思ったらそういうことだった。

ご多分に漏れず我が社では他にも同症状で休む人は多い、いや、時間と共に増えて来ている。冬場のインフルエンザそのものは、これまでもある意味普通にあったことなのかも知れないが(?)、ここまで来るとさすがに脅威だ。

でも、今朝自分の席に着くまでに何度も「もう大丈夫なの?」と声をかけてもらえたのはやっぱり嬉しかった。(もう「変なの撒き散らさない?」という意味も十分あると思うけど!)あまりにも口々に言われるので、「そんなに有名?」と聞き返してしまった。
恥ずかしながら、今回の僕は、我が社において「ほぼ第1号だった」というのもあったようだ。まあ、多少なりとも気にしてもらえるのは悪いことではないか。

気にしていると言えば、連日報道されている北海道日本ハムファイターズに入団した斎藤投手のことも僕は気にしている。あんなに追い回されて大丈夫かなとか。

今朝、毎朝見ている「朝ズバ!」で、やっとみのもんたが、「新人は祐ちゃんだけじゃない」とか「みんな同じに報道してあげないと」とかいうことを言っていた。正に同感!

プロ野球の選手と言っても、実際は人気商売的なところもあると思うので、ただ見た目やこれまでの様々なことで好感を持たれて人気が集中するのは分かる。

でも、言うまでもなく彼はまだプロの世界では何の実績もない。穿った言い方をすれば、1軍で投げられるかどうかすらまだ何も決まっていないのだ。
彼ほどの投手であれば恐らくそこそこの活躍はすることだろう。でも、「鳴り物入り」をしてアーもスーもなくすぐに消えて行った選手がこれまでにどれだけいたことか。

人気商売と言っても、それを支えるのは当然プロとしての実力。どれだけ活躍、もっと言えば、どれだけ我々観る者の心を打つ活躍が出来るかどうかだろう。

何故今の段階からあんなに人気があるのか、実は僕には理解出来ない。野球のことなんて何も知らなさそうな商店街のおばちゃんみたいな人までもが「祐ちゃん祐ちゃん」って少しおかしいと思うんだな。僕は。

例えばただの自主トレやキャンプで訪れるその地元が活性するとかいう意味で歓迎するなら分からなくもないが、少なくとも「野球ファン」ではないな、と僕には見える。
「北海道日本ハムファイターズ」という正式な球団名を言える人があの中に一体どれだけいるのだろう。考えてみれば滑稽な現象だ。

報道する側には、この辺に関して多少の配慮や自主規制的なものはないのだろうか。他にも期待の新人はたくさんいるぞ。世間が期待するなら何でもOK?視聴率さえ取れれば明らかに偏っても少しくらい過剰でもOK?
それもまた現実と言えば現実なのでそれならそれで別にいいと思うが、
出来るなら、せめて自主トレ期間中やシーズンを見越す大事なキャンプ期間中くらいはもう少し静かにしてあげて欲しいなと僕は思う。他の新人選手らは、今は寂しいかも知れないけど「助かっている」人もいるんじゃないかな。

キャッチャーを座らせず立ち投げ30球程度のどこが面白いんだ?ちょこっとブルペンキャッチャーが座って、たまたま30球程度受けたことにイチイチマイク向けてブルペンキャッチャーのインタビュー取って何が参考になるのだ?
テレビ局のインタビュアーも、「はあ、そうですか。それは期待大ということですね?」みたいな、見え透いた受け答えをするなんて、はっきり言って僕には訳が分からない。あんな役をさせられるテレビ局の人が可哀想にすら見える・・・。

出来ることなら、このブログでも別件(バンクーバー冬季オリンピックの頃/「メダル獲得(事前・事後)の過剰報道に思う」の項)で随分前にも書いた「品のある報道」を僕は願いたい。

シーズンが始まり、本当に活躍した暁には、その時こそ「待ってました!」とばかりにバンバン取り上げればいいと思うけど。もしそうなれば僕みたいにブチブチ文句を言う人(?)はきっといないだろうし、斎藤投手ご本人もその方がずっと気持ちがいいでしょう。

何にしても僕が一番期待するのは、彼が真のプロ選手として努力し活躍して、いくら報道しても足らないくらい世間が認める大選手になってくれることだ。

プレーヤーとして一番認められたいのは、何をおいても「成果」のはずだ。

競技は大きく違えど、一応僕も僕なりに努力して自分の中の高みを目指すプレーヤー(スイマー)の端くれとして、いちいちウザいと思われるかもしれないが、こんなことを気にしてしまうのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年7月 1日 (木)

敗者の美学、「最終戦犯」の哲学(?)

ああ残念だ。本当に残念。ワールドカップで日本はパラグアイにPKで負けてしまった。当初の予想を大幅に上回る活躍で過去タイのベスト16に進出し、それまでの闘いぶりから十分ベスト8も狙えると目されていて、僕もパラグアイとは互角で、勝つなら普通に勝てると大いに期待していた。しかし結果は、危ないシーンも多くあったが延長も含め120分で0-0。そして結末としてある意味一番恐れていたPKになってしまった。結果は既に十分テレビでもやっている通り駒野が外し、試合は引き分けでも勝負に負けた。残念過ぎる結果ではあったが、外した駒野を責める人はいないだろう。「そこだけ」見れば負けを決めたのは駒野の失敗だったかも知れないが、そこに至るまでの活躍は素晴らしかったし、日本は素晴らしいチームワークの闘いで大いに夢と感動ををくれた。
岡田監督をはじめ、代表の選手達には、本当に良いものを見せてもらった。次は4年後にはなるが、次のブラジル大会にも是が非でも出場して、また世界を驚かす活躍で大いに頑張って欲しい。

ベスト8が出そろい、その中に日本がないのは本当に寂しく思うが、何度も流れる駒野がゴールを外したようなシーンなどを観るとどうしても思い出すことがある。

あれはもう30年くらいも前になるが、僕が小学校の野球部だった時(古すぎるか・・・)、夏の名古屋市の大会で僕の学校は準決勝まで勝ち進んだ。準決勝の相手は練習試合でボロ負けした学校で、「ここで終わりか」と心のどこかで思っていたが、試合は意外にも互角で、僕は5回からリリーフとしてマウンドに上がった。6回表に、僕のツーベースで1点勝ち越し、6回と最終回さえ抑えれば、勝てないと思っていた相手に勝ち、次は決勝。トーナメントの反対の山は練習試合で勝ったことのある学校で、もし決勝に進めば「優勝だ」と計算し、大いに期待が膨らんだ。
そして6回を抑えた次の最終回、ヒットと何かで2塁まで進まれ、1点差でツーアウトランナー2塁というシーンになった。「バッター勝負」と周りから言われ、思い切って投げたボールはとにかく高い高いピッチャーフライ。その瞬間「勝った」と思った。

しかし、信じられないことにボールと太陽が完全に重なり、ボールが全く見えなくなった。飛んで来るボールなら太陽が目に入らないようにボールを追えるが、真上から落ちて来るボールにはそれが出来ない。太陽から目をそらしても、しばらく太陽を見過ぎたため、光の残像が残ってしまい何も見えない。それに気付いたセカンドのマー君が飛び込んで来たがボールは無情にもグランドに落ち、土壇場で同点、延長戦になった。

その時僕は「俺のせい」とベンチで大いに落ち込んだ。でも、そこで負けが決まった訳ではなく「どんまいどんまい」と言われはするものの、目前で(一旦)逃した勝利。周囲が僕のことを本当はどう思っているかと気になるのは人情か、延長の1回は無得点に終わり守備につく。幼い僕は、それまでヒーロー気分だったものが一転、失意のどん底の気分を引きずりながらマウンドに上がった。監督に「お前が投げなくて誰が投げる!」と励まされるも、動揺からか、今度はツーアウト満塁の大ピンチを背負った。また口々に「バッター勝負!」と言われ、「押し出し」だけはするまいとド緊張の中で投げたストライクはセンターのノリオの頭上を遥か越える大ホームラン。「勝った」と思った試合が一転「サヨナラ負け」。打たれた瞬間にそれと分かり、その場で涙があふれて来て止まらなかった。当然「負けたのは俺のせい」と激しく自分を責め立てた。

メンバーの皆には「お前があれを取っておけば」とか「見えないなら見えないと早く言え」といった責めを受けることはなかった。監督や皆に慰められれば慰められるほど悔しさと申し訳なさで涙があふれて来てどうにもならなかった・・・。昔過ぎる話だが忘れもしない強烈な思い出だ。

こんな時、「最終戦犯」である当の本人はどう思うか?もちろん、傷口に塩をぬられるようなことをストレートに言われてしまっては耐えられないが、周囲に自然と思われることは少し言われた方が「逆に楽なのではないか」とすら当時は思えたものだった。「お前のせいではない」といくら言われても、本人にすれば本気でそう思えるものでもなく、この辺はお互い複雑な気分だ。じゃあ誰か「自然な思い(?)」を言えるか?仮に心の中で思ったとしても口に出来る者はいないだろう。誰しも一緒に頑張って来た者にそんなことが言える人でありたくないはずだ。チームプレー競技にこういうことはある種付きものでもあるから、その辺は「当事者」も「周囲の者」も、誰かれではなく、皆自分のこととして「真に」気持ちを一つに出来るのが一番美しいだろう。それが「チーム」だ。

かつてイタリアのスーパースターのロベルト・バッジオはワールドカップ決勝でPKを外して負けた。彼はイタリアをそこまで引き上げた一番の立役者だったのに、一転、計り知れない悲しみのどん底に落ちた。そんなバッジオが昔来日した時、日本のファンはバッジオの美技に酔い知れ、彼と彼のチームを大いに盛り上げた。その強烈な盛り上がりは、本人にとってもそうだろう、彼の悲しみを知る者にとっても正に感動ものだった。嬉しそうに歓声に応えるバッジオを見ていると、僕まで感動して泣けて来る気持ちになったものだった。「その時」は悲しくても、そうやって人の気持ちを理解し、応援してくれる人に触れると、きっと頑張って来た自分に誇りが持てるだろう。

勝負には必ず勝ちもあれば負けもある。勝負であれば誰でも勝ちたいに決まっているが、負けてしまった時は、「そこだけ」を引きずることなく、「負け」に至ったまでのことを誇りに思い、更に高みを目指す選手でいて欲しい(選手でいたい。一応僕も水泳選手・・・。)。

バッジオではないが、駒野にもきっとそんな日が来ることだろう。今は自分を責める気持ちが大きいかも知れないが、いつか必ず笑える日が来るに違いない。
日本の活躍には僕も含め日本中が間違いなく歓喜したのだから。

僕はサッカーにはほとんど縁のない男だが、一スポーツシーンとして大いに盛り上がった。楽しかった。後はオランダがブラジルを破って東京の先輩との予想対決に勝利するだけだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年6月19日 (土)

「プレーヤー」には敬意を払おう!

さて、盛り上がりを見せるワールドカップでは、予選グループリーグも第2節に入り、明日19日は日本の予選突破においてとても重要となる超強敵相手のオランダ戦だ。ワールドカップが始まる前は、ちまたで「グループリーグで日本は全敗」するとの予想も多く、多少盛り下がり(?)があったようにも思えたが、初戦カメルーン戦に見事勝利したので、日本中俄然「盛り上がり直し」の状況にあるように思う。

さすがに世界中で最もポピュラーとも言われるサッカーとなれば、職場など僕の周囲にも様々な意見を持った「素人評論家」が増える。身近には、同じ日本人でありながら「日本のサッカーは嫌い」と公然と言い放ち、順当に世界のスーパースタープレーヤーが活躍することを願っている者もいる。確かに、普段から世界のサッカーに触れている者なら、そういう気持ちになるのも理解出来なくもない。

世界ランキングで日本は45位。ワールドカップはランキングの上から順番に出場する仕組みではないので、出場32カ国の中、45位でありながら出場出来ているのはある意味幸運とも言えるだろう。

今の日本のサッカーにおいて「ベスト4を目指す」と言うのが相当かどうかは何とも言えないが、世界との実力差が未だ大きいことは、「日本中の素人」なんかよりも日本代表の選手達自身の方が、実際の場面での経験も含めて身を持って十分認識しているだろう。そんなことは素人にピーピー言われなくても遥かによく知っているに決まっている。

そんな日本のプロサッカー選手は自身プロ選手でありながら、同じ立場であるはずの世界のプロサッカー選手のことを「スター視」しているような謙虚な選手もいるのに、僕の周囲で見聞きするような、素人が素人相手に「評論家面」して日本のサッカーに対してピーチクパーチク偉そうに言って来るのは、僕にはどうしても気持良く聞こえない。アマチュアならともかく、プロの選手であれば、悲しいかな、そんな何も分かっていない素人どもに批評される立場にあるのかも知れないが、僕は大嫌いだ。

まして、自分自身その競技に対して真剣にやった経験もない者が言うのは、また特に大嫌いで、「お前ごときがナンボの者だ」と時には腹立たしさすら覚える。端から観て批評するのは簡単だが、実際の場面がどんなものかを知った上で言っているのかと疑問で仕方がない。もし多少の経験もないくせに偉そうなことを言う者に触れると、「僕基準」で言わせてもらえば、「そんな者」は軽蔑に値する。批評するのも「自分の中」から出て来る意見なんてものではなく、遥かかなたのスタープレーヤーと比較しただけのものに過ぎないと思う。そんな「借り物の意見」なんかに同調出来るはずがない。

アメリカ大リーグ、メジャーリーガーの松井秀喜があるインタビューで言っていた。「日本とアメリカの野球で何が一番違うか」との問いに「観衆が選手に『敬意』を払っていること」と。メジャーリーグでは、時に露骨なブーイングもある反面、場面によっては敵方のチームであってもスタンディングオベーションで選手を迎えることもある。メジャーリーグ中継などを観ていると、観衆の応援の仕方や楽しみ方、観戦の仕方や、スポーツを愛する姿勢そのものが日本のカルチャーと少し違う気がする。松井が言うのも「分かるな」と思うこともしばしばだ。

僕は江川卓の解説も好きだ。江川は選手時代何かと騒がしいこともあったが、解説者である現在は、自分が現役時代どれだけ名声と実力があったかには関係なく、常に「現役の選手」を尊重し、時には「もっとこうした方がいい」という苦言を言うこともあるが、いつも期待を込めた前向きなコメントに始終し、批判的なことは決して言わない。僕は江川のこの辺のスタンスがとても好きだ。

江川に限らず、本当に(人ととしても)優秀な選手であれば、引退した後でも「自分の過去の栄光を誇示する」だけの無意味な批評はしない。やはり現役の選手を尊重し、応援的で前向きなコメントが多いように僕は思う。この辺はプロでもアマチュアでも、現役の選手同士でも同じだと僕は思う。

スポーツに限らず他のジャンルでも、それらを心から愛するものであればあるほど、無意味でくだらない「評論家」なんかは排除して、「プレーヤー」に対し最大の敬意を払い、前向きな気持ちで触れたいものだと僕は思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月11日 (木)

いよいよスポーツ花盛り!

今日は久々に水泳の練習をサボってしまった。

自分1人が好きにやっているだけのものなので「サボった」などと指摘を受けるものでもないのだが、今日は時間的に十分練習に行ける日で、練習日程的にもただの「3連勤」でしかなかったので、まだ休養を取るようなタイミングでもなく、こういう日に休むのは、僕の中ではやはり「サボった」という感じがしてしまう。

昨日も調子は良かったので本当は今日も行くべきと思ったが、昨晩の練習ではほんの少し右肩と右ひざに痛みがあった。決して「故障」なんていうレベルのものではないのだが、不意にもそんなことがあったので「取りあえず」今日は休みにしておいた。明日はしっかり行けそうだし今日は普段ないのんびりした夜を過ごすことにした。

今年ももう3月に入り、オリンピックが終わってもだんだんスポーツの話題が増えて来た。

今日のニュースでは、今年からエンゼルスに移籍した松井秀喜のオープン戦デビューの話題も多くあった。昨年ヤンキースで悲願のワールドシリーズを制し、ヤンキースを愛し続けた「ご褒美」でもあるかのようにシリーズMVPまで獲得し、本人も地元ニューヨークも松井の残留を熱望する中での移籍となったので何かと日米において様々な話題を呼んだが、今年からは「エンゼルス松井」だ。くしくも開幕戦がヤンキースVSエンゼルスというのも何だかドラマじみていて今からとても楽しみだ。

僕は名古屋出身だが巨人ファンだ。僕が名古屋では例外的に(?)巨人ファンであった理由は3つある。先ず①周囲が皆ドラゴンズの帽子をかぶっているのに自分も「群がる」のが何となく嫌だった。②物心がつく前から父が熱烈な「アンチ巨人」で、プロ野球中継の時など、とにかく巨人の目の敵にしていて、当時諸々の事情(?)を知らない僕は、父にコテンパンに言われる巨人がどことなく「可哀そう」に思え、知らず知らずのうちに同情していたこと。③僕がまだ小学生2年でちょうど野球を始めた頃に王選手が756号を達成したこと。(あの時はあからさまに中日びいきの中日新聞ですら、王選手の世界記録が近づくと、ホームラン毎にシールを貼っていくカレンダーなんかも付録にあった!)

そんな昔からの巨人ファンである僕は、大学時代の野球部の頃や入社時新人の頃は、夏の甲子園大会で全打席敬遠という当時かなりの物議をかもした対象の「松井」に似ている(顔が)と言われていた。今は随分顔も膨らんでしまった(?)のでそう言う人は誰もいないが、会社に入社時の167年前、職場で一緒だった人で、未だに僕のことを「松井」と呼ぶ人もいる。あんな偉大な「松井」と似ていると言われるのは僕自身嬉しくもあったのだが、その松井秀喜と僕は年こそ違えど「社会人デビュー」としては「同期」だ。そんな諸々と野球スタイルと人柄が好きで、以来僕は松井の大ファンだ。松井が巨人を去ってしまってからは、僕の巨人ファンもかなりあいまいになったものだったが、昨年の巨人の日本一は、何と松井の巨人最終年以来7年振りというのには少々感激した。今でも松井がメジャーでホームランを打った日はあの「ザウルス」にもマメに記録しているので、「松井の去年の今頃は・・・」なんかも僕には分かる。そんな松井の今年の活躍を僕はとても楽しみにしている。

14日(日)からは大好きなF1も始まる。アイルトン・セナ亡き後は「松井のいない巨人(or日本のプロ野球)」のごとく、F1でも特定のファンはなく、あくまでも「好きなF1」として今でもシーズン中はきっちり観ている。現在はその時々の状態で気の向く選手を応援しているが、今年はあのミハエル・シューマッハが現役復帰する。

アイルトン・セナをさんざん脅かし、当時のセナが自分で、自分が今のアロンソのような格好になって引退したあのシューマッハが、だ。信じられないことにシューマッハなんか僕と同い年だ。

今年のF1は何かと楽しみが多い。そのシューマッハの現役復帰、生意気だったフェルナンド・アロンソがシューマッハのいたフェラーリへの移籍や去年は全然振るわなかった因縁のルイス・ハミルトンとのからみ、僕が好きなホンダF1撤退後、その後継のブラウンGPで後半失速しながらも悲願のワールドチャンピオンになり今年から名門マクラーレンに移籍したジェイソン・バトンの動向や去年までチームメートだった鉄人ルーベンス・バリチェロとの対決、そして去年トヨタでスポット参戦し、その才能が世界で評価された日本の小林可夢偉、等など本当に楽しみだ。

6月にはワールドカップも始まる。僕はサッカーにはほとんど造詣がないのだが、今は東京にいる仲のいい会社の先輩との予想対決がとても楽しみだ。

僕らで考案した、予選のグループリーグからほぼ消化試合がない予想対決は本当に面白い。もし機会があればこのブログでも紹介したいとか(?)

そしてその先輩との予想対決の勝敗で、僕が夏に東京のジャパンマスターズに行った際「賭け」の清算するのが1つの行事になっている。前回2006年は予定にない先輩の家族分までおごらされたので今から勉強して今年は倍返しだ。

今回は書き出した勢いでつい支離滅裂になってしまった・・・。

明日はしっかり練習に行きたい。いや、行かねばならない!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月26日 (金)

みんな頑張れ!女子フィギュア

昨日24日は、普通に朝から仕事で、うっかり忘れていたのだが昨日の残業当番は僕だった。

僕の部署は、業務上21時まで誰か1人事務所に残らねばならないのだが、ご多分に漏れず我が社も最近は残業時間の制限が厳しい。そこで僕のいる部署では従来のように所員が抱えている仕事の都合で思い思いに残業をするのではなく、残業時間を公平に割り振った「当番制」になっている。これは所属長が考えた我が部署のオリジナルの制度だが、他の部署にはこういう制度がないようだ。こんな制度を敷く今の部署にはメリハリがあってとてもいい考え方だと僕は思う。

通常昼休みは、構内の食堂で取るのだが、昼休み中事務所が無人になってはいけないので、「残業当番」でない「早番」の人が1145分から12時半、「残業当番」の「遅番」人が12時半から1315分となっている。

そのお陰で幸運にも昨日は昼休みに、誰の目をはばかることなく女子フィギュアスケート、ショートプログラムのハイライト(?)をライブで観ることが出来た。「ハイライト」と言えば何といっても注目の日本の浅田真央選手と韓国のキム・ヨナ選手の対決だろう。

もう十分過ぎるくらい昨日今日の新聞、テレビで報道されているので周囲でも結果を知らない人はいないほどだが、ショートプログラムでは日本の浅田真央選手は2位で、1位は韓国のキム・ヨナ選手だ。1と2位の点差、4.72点がどれほどの差になるのか僕には分からないが、どちらも観ているものを魅了するとても素晴らしい演技だったと思う。浅田真央選手が終わった時点では、その時点の2位とも5点の差があったので、「やった。これは安定リードだろう」と思え、いくらキム・ヨナ選手でもこれを越えるのは難しいのではないかと思いきや、直後に続くキム・ヨナ選手の演技もさすがで、素人の僕にも分かるほどスピードがあり完璧で、正に貫禄の出来栄えだった。どこがどう採点されているのかは分からないので雰囲気的なものしか感じ取れないが、明日のフリープログラムでも各選手が張り詰める緊張感の中で存分に満足のいくパフォーマンスを発揮して欲しいと思う。

しかし、日本人選手の演技に現地カナダの観客の人たちが盛大な拍手歓声を上げてくれるのは、同じ日本人として本当に嬉しいことだと思った。浅田真央選手や安藤美姫選手、鈴木明子選手の演技ももちろんそうだが、例えばジャンプやスピンが決まる度に大きな歓声が上がるだけで、観ているこちらも激しく感動する気持ちになった。それに、演じた選手本人が満足で納得の演技が出来た時の喜びと充実感に溢れる表情を見ていると本当に感動する。

でも選手本人には計り知れない緊張があるだろうな。

良い結果を出すには、あれだけツルツル滑る氷の上で「ミスが出来ない」というのも少々残酷ではないかな、と素人目には思える。でもそういう競技なのだし、その分上手くいった時の喜びはひとしおだろう。

僕も一応スポーツをたしなむ者だが、レベルは果てしなく違っても、そういう時の緊張感は本当にいいものだと思う。結果が伴えば言うことないが、そういうものを感じられるだけでも僕は幸せだと思っている。

今回の女子フィギュアスケートでは、その緊張の中でも、「追う立場」と「追われる立場」の緊張で、どちらの方が緊張するだろうか。僕個人的にはどちらでもそれ程変わらないと思う。どちらの立場にあっても練習の成果を最大限発揮して最高のパフォーマンスをしなければならないことに変わりはないのだから。

余談だが、いつの間に女子のフィギュアスケートはアジア勢が優位になったのだろう。

その昔、伊藤みどり選手やカタリ―ナ・ビット選手の時代はナンノカンノ言っても欧米の選手が優位だったように思うが、最近は例えば欧米の金髪の選手が滑っていると何となく雰囲気が違う(?)感じがするのは僕だけだろうか。

まあそんな要らん話はいいとして、ラッキーなことに明日の僕の仕事は時差出勤で昼からだ。

時差出勤の日は残業にはならないが一応「遅番」になるので昨日と同じ時間帯(1230-1315)に昼休みが取れる。また昨日のように、ちょうどフリープログラムの「ハイライト」が観られたらとてもラッキーなのだが・・・。

仮にタイミングが外れても今は携帯電話のワンセグがある??ダメダメ。

高校の時のプロ野球の日本シリーズのように、一番後ろの席の「係」が今のワンセグはなくても、学ランの袖にイヤホンを通してこそっとラジオを聴き、授業中にも関わらず後ろの黒板に用意しておいたスコアボードに点が追加されていっても、先生まで「ああ、阪神に点が入ったねえ」などと大目に見てくれる(?)時代とは訳が違うのだ!

うーん、いずれにしても本当に楽しみだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月18日 (木)

メダル獲得(事前・事後)の過剰報道に思う

いよいよ盛り上がりを見せるバンクーバーオリンピック。昨日は男子スピードスケート500mで日本選手が2位と3位で銀と銅のメダルを獲得した。世界の強豪が一挙に集う神聖なるオリンピックの舞台で表彰台の2つを獲得をするのは本当に素晴らしいことだと思う。

今朝も出勤前に女子のスピードスケートを観ていた。日本人選手の出場待ちの合間合間に裏番組を観てみたら、ほぼどの局も(特に民放)「これでもか」というくらいメダリストの長島選手と加藤選手を繰り返しを取り上げていた。確かに世界の高く激しい競争の中でメダルを獲得したのだから、これも当然なのかも知れない。

だが、どうもこれらの報道に僕は違和感を覚えてならない。何だか、メダルを取った選手は「すごいすごい、感動した」とまくし立て、メダルを逃した選手は「頑張ったけど……」とさらっと流す(?)。露骨に温度差がある報道し過ぎではないだろうかと僕は思う。

オリンピック幕開け直後、女子モーグルの上村愛子選手が4位に終わったのは正直僕も残念だった。「残念」と思うのは、上村選手自身のこれまでの計り知れない努力と気力を思ってのことで、出来るならばその努力と気力でメダル獲得という夢が叶った時の満面の笑顔で、僕もその喜びを共感したかったという気持ちだ。

でも、実際オリンピックに4大会連続出場出来るだけでも超人的と思うのに、その4大会で1度も順位を落とすことなく今回自身最高位の4位。メダルという観点からすれば確かに取れなかったのかも知れないが、その4位という成績だけでも、ある意味メダル以上の素晴らしい偉業のはずだ。

大体報道自体も、オリンピックの度に「メダルメダル」と言い過ぎではないだろうか。それぞれの競技の深さや難しさを知りもしないで、ただ「応援」という名のもと、寄って集ってピーピー言い過ぎだと思う。まるで「メダル」を取らないとダメとでも言っているかのように…(?)。これではこれから競技に臨む選手も集中力を乱されることもあるのではないかと心配になることもある。オリンピックに出るほどの選手ならば、そういう注目の浴び方をするのも宿命の1つかも知れないけど。

どの選手にしても、まるで子供がオモチャを欲しがるかのように「メダル」を欲しがるのではなく、選手自身がその競技を愛し、常に高みを目指して努力した証としてその獲得を目指し、その結果が「たまたま『メダル』という形」で表現されるだけであって、決してメダルだけが欲しい訳ではないはずだ。どうも各社の報道を観ていると、その辺の捉え方や報道の仕方に違和感を覚えてならないがどうだろうか。

そして、既に競技を終えた選手や、これから競技をする選手がまだたくさんいるというのに、何か勇気を与えるどころか、「やっぱり金がよかった」などと後悔じみたことを平気で言いまくり、報道もよってたかってそれを煽り立てる。オリンピック出場者も、惜しくも出場を逃した選手も皆が目指し憧れるメダルを獲得して(たとえ目標と色は違ったとしても)、本音として控えめに「こそっと」言うならまだしも、「本当は金が取れました」とでも言いたいかのように繰り返し言いまくる。本人にすればそれもそうなのかも知れないが、そういうことを堂々と言い放てられるような感性に僕はどうも共感出来ない。皆の憧れや目標となるべき優秀な選手ならば、その辺は気持ち良くもっと前向きで、観る者に希望を与えるようなコメントをして欲しい、と僕は思うがどうだろうか。

別に「メダルを獲得した選手ばかり報道するな」、とか、「メダルを逃した選手をもっと報道しろ」、と言いたいのではない。

報道各社は、オリンピックという神聖なる祭典が世間の高い関心にあることをいいことに、それに乗じて視聴率ばかりを気にして偉大なるスポーツの世界を必要以上にバラエティー仕立てにすることなく、それぞれの選手に対してもっと理解と尊敬の念を持ち、また時には配慮もし、それこそ今流行りの「品位のある」報道をしたらどうだろう、と僕は思うのだ。


| | コメント (4) | トラックバック (0)